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l884年。スイスにある村の小さな作業場…。ここが1世紀以上の歴史を誇るピクトリノックスの出発点でした。創業者の名はカール・エルズナー。帽子職人の4番目の息子であった彼はナイフ作りの技能を学ぶことを決心し、ドイツとフランスで修業後、この村でワークショップを開いたのでした。その後、彼はスイス陸軍のために、ポケットナイフを開発し、l891年にスイス陸軍に「ソルジャーナイフ」を納入しました。以降、彼は現在のピクトリノックスの原形ともいえる「オフィサーナイフ」をはじめ、数々のポケットナイフを考案したのです。初期のモデルである「オフィサーナイフ」はメインブレード、イレーシングプレード(小刃)、穴開け、缶切り、スクリュードライバー、コルク抜きの6つのバーツを装備したシンプルなものでしたが、現在、最高峰のモデルである「スイスチャンブ」には3l機能が装備されています。モデル数もカラーバリエーションを含めて、数百種類を数え、その結果、あらゆる人々が自分の目的にあったナイフを運ぶことが可能になったのです。毎年のように新たなツールを加えたモデルがラインアップに加わるのもユーザーのために、製品を作り統売ける私たちビクリノックスの姿勢といえます。ピクトリノックス。その名前は、ステンレススチールの国肝的な名称である「INOX(イノックス)」とl909年に亡くなったカール・エルスナーの母のクリスチャンネーム「VICTORIA(ビクトリア)」からつけたものでした。そして現在国から使用が認められているハンドルにあるスイスの国章は、類似品と間違えることのないよう、工ルズナー自身が考案したものです。ビクトリノックスの培ってきた信頼は、世界中のあらゆる場面で証明されてきました。エベレスト、アンナプルナ…。これら世界の高峰に捗むアルビニストたちが、何皮もこのビクトリノックスによって苦境を来りぜえ、また精神的にも勇気づけられたことでしよう。l975年、エベレスト南西壁に挑んだイギリスの探検隊は「まさにこのナイフのおかげで登頂に成功した」と語りました。また7大陸の最高峰を極めた、日本の女牲アルビニストが身に付けていたのも、ビクトリノックスでした。活躍は地球上にとどまらず、宇宙にも拡がっています。「スペースシャトル乗組員の標準装備」として選ばれた事実は、それを物語っているのではないでしょうか。本物だけがもつ機能美…。それはニユーヨーク近代美術館とミユンヘンの国立応用芸術芙術館がビクトリノックスをそれぞれのグッドデザインコレクションのひとつとして認めたことでも証明されています。ナイフをただ単に「冒険家の道具」、あるいは「アウトドアの必需品」と位置づけるのは、ことビクトリノックスには当てはまりません。まさに生活に密着した小道具として職業、趣味、男女を問わず、だれにでもどんな時にも、役立つアイテムといえるでしょう。 | V I C T O R Y N O X |
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